- 大学生時代の話をさせてもらいます。
当時、私は武道系のサークルに入っていました。
サークル(今後「会」と呼びます)と言っても、伝統もあり、稽古も礼儀もそれはそれは厳しいものでした。
稽古の厳しい下級生時代も終わり、上級生(幹部)になってからのこと。
これで好きなようにできると思っていましたが、幹部になればなったで、師範先生やOB・OGの先輩方、会外への応対や、下級生の指導、(恥ずかしいものは見せられない)演武への取り組みなど…。
下級生とはまた違った「会の運営面」で頭を悩ませるようになりました(それはそれで幸せなことでしたが…)。
- 会では、毎年夏に、一週間、越後湯沢で稽古づくしの合宿がありました。
下級生時代には、疲れもあって、毎日早く眠りに就くことだけを考えていましたが、幹部になったその年は、同期の者と会の運営や技の探求について夜遅くまで話し込んでおりました。
その夜も、同期の者のうち二人と(計三人で)合宿所のロビーで、そのような話をしていました。
深夜になり疲れはじめた私は、先に切り上げて、他のメンバーがすでに寝ている男性幹部の部屋(6名部屋)へ戻りました。
そして、いつもそうしているように、ウォークマンで音楽を聴きながら眠りについたのでした。
私の右隣と正面の布団は、ロビーに残してきた二人の寝床でしたので、当然、誰もいませんでした。
- 眠りについて、どれくらい時間が経ったかわかりませんが、真っ暗な中、私はふと目を覚ましました。
ウォークマンをのテープが一巡して止まっているのを、ぼんやり確認したとき、暗い中、正面の布団に友人がすでにいて何か寝言のようなものを言っているのがわかりました。
最初は、「あぁ、二人、だいぶエキサイトしてたけど、話し終わって二人とも床に就いたんだ」と私は思いました。
しかし、友人は何かうめいているようでした。
暗い中、頭を少し上げて眺めると、誰かが乗っているようでした。
そして苦しそうに、結構、布団が揺れていました。
友人のうめき声は続いているようでした…。
- 私は、「エキサイトしたあまり、(もう一人の友人が)乗っかってじゃれているのか」とぼんやり思いました。
そのとき、
「ギャ!!」
と、正面の友人が言って、乗っかっている者共々、ワンバウンドしたように跳ねて、静かになりました。
しかし、そんな異常なことが起きたのに、私は、やはり寝ぼけていたのでしょう、
「しょうがない奴らだなぁ。明日起きたらからかってやろう…」とぼんやり思っただけでした。
そして、また眠りについたのでした。
正面の友人に乗っているはずの友人が、確かに右隣に寝ているのを見ながら…。
- 翌日。
朝起きると、もうみんな朝稽古に備えて、布団の中で起きていました。
私は、起きた時点では、夜に起きたことも、二人をからかってやろうと思ったことも忘れていました。
しかし、正面の友人が、布団に座りながら、さかんに首をひねっているのです。
(わけわからないなぁ…)といった風に…。
私が、「どうした?」と聞くと、彼は左肘を見せました。
左肘には、傷が縦横無尽に走っていました。
それほど深いものではなく、血は止まっていましたが、シーツは左肘の部分が真っ赤でした。
肝心の傷は、複数あるのですが、引っかいたように一列に並んでいるわけではなく、まさに四方八方に走っているのでした。
友人が「覚えがないんだけどな」と言ったとき、私は、背中に鳥肌がたつのを覚えました。
そして、ようやく皆に言いました。
「昨日、見たよ…。二人でじゃれ合っているのかと思った…」
- 翌日か翌々日に師範先生が見えられて、会食か何かの時に、話を聞いてもらいました。
(恐れ多いので、話すべきか迷いましたが…)
先生は、いつも通り動ぜず、
「人でも何でも『波長』というものがある。それがピタッとあうと、見えないものが見えたり、あえない事象にあったりすることになる。
今回、たまたま波長があってしまったんだろう。」といった要旨の説明をしてくださった。
その後、同期の女子や後輩にはこの話はしなかった(卒業後に話したが、さすがはうちの女子部員や後輩で「へぇ」と言って、全然ビビる様子はなかった)。
あれから20年経ったが、友人の肘にはまだ傷跡が残っており、会の後輩達は、相も変わらず、毎年同じ場所で汗を流しているようである。
以上が、私の出会った数少ない不思議な体験のうち、最も不可思議なものです。
- 途中、興奮してか、「ですます。」と「である。」が混在してしまいました。
申し訳ありません。初めての書き込みなので、どうぞご容赦を。