- 733 :自治スレでローカルルール他を議論中[sage]:2010/10/27(水) 22:08:38 ID:9sSNg2Ls0
- 千里浜で拾われた「さざれ石」福王寺・旧蔵・広島「さざれ石」は貞観5年(西暦863年)の頃、紀伊の国千里の浜で、夜な夜な光っていた石を浦人が見つけ拾われたもので、
その後、この石は時の右大臣藤原良相がもらい受け、さらに、その子常行から山科の禅師へと次々に渡り歩き、後醍醐天皇の観応2年(1352年)の頃、中納言公忠の手に移った。
その後、公忠は勅勘により安芸の国(広島)へ左遷された時、安芸の守護武田伊豆守氏信の手に渡って城中に納まった。ところが、この石は昼夜鳴動してやまないという、
不思議な出来事が続くため、氏信はこの石を福王寺(広島市)へ納めることにした。
また、大江輝元も、この石を城中に持ち帰ったところ、また鳴動が激しくなるので、輝元は城中に一夜とめたのみで福王寺へ返した。その、不思議なことに持って来るときは
人夫八人の手によって運んだが、返す時には僅か一人の手で運んだといわれる。
また、戦国の武将福島正則もこの石を見て、奇特を現せと扇で石を叩いたところ、一天俄に掻き曇り、大雨が降り続き大洪水となったといわれている。
さらに、豊臣秀吉もこの石を見た記録もある。このように霊異を現す怪石として、この石は有名になった。 - 734 :自治スレでローカルルール他を議論中[sage]:2010/10/27(水) 22:10:51 ID:9sSNg2Ls0
- ところで、この「さざれ石」は、日本の国歌「君が代」の歌詞にもなっている元歌の石で・・・・・・拾われた所は、紀伊の国千里の浜であることは、
伊勢物語や諸国俚人談、紀伊読風土記、木内石亭の「雲根志」などに詳しく載っている有名石。
この石が発見されたのは先にも説明したように清和天皇の貞観5年(863年)今から約1200年前の頃で、
愛玩石として古文書に載った石では最も古いものといわれる石である。
私が、この石に会ったのは、昭和50年頃であった。この石の大きさは長さ約8.5cm、高さ約40cm位の大きさで、
石灰岩質のような白っぽい石で、約30cm位の厚い板の上部を少しお盆のように掘り込み、縁や台座の下部も少し彫刻されたもので、
いわば、その昔この石に合わして作られた古色蒼然たる台座であった。したがって、わが日本での愛石歴史の中では、
最も古い石であり、台座であると言うことが出来るだろう。
ところで、それ以来広島の福王寺にあって、あの原爆にもめげず、昭和の世まで生き続けてきたこの石も、
昭和52年9月30日、福王寺本堂への大落雷により本堂と共に焼け落ち、無数の破片となって飛び散り、跡形もなく消え失せたという。
怪異を現し、宗教的霊異石として、最後まで数奇な運命をたどった石である。
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