- 822 :本当にあった怖い名無し:2010/11/27(土) 19:48:01 ID:4wKYoNgW0
- 当時、私の会社は大変景気が良く、お金には困らず、毎晩すすきのに繰り出して遊んでいました。
仏法を信ずる気持ちはその頃も人一倍ありましたが、それよりもお金儲けが楽しくてしょうがありませんでした。
背広(当時はスーツとは言いません。背広です)の内ポケットには常に100万円の封を切っていない束が2~3束入っていました。
クラブなどで飲んだ後、さりげなくそれが見えるように支払いをするというイヤラシイやり方も、
当時はお金持ちの象徴、権力の象徴、まさに一度はやってみたい男の夢を実現しているような充実感があったものです。
その頃、飲みに行った先々で不思議な現象もよくありました。
トイレに行くと警告音のような音が鳴ったり、歩いていると体を引っ張られたり、浮気しようとすると足を引っ張られたり。
すすきので飲み歩くのを明らかに阻止するかのような現象が多々ありました。
それでも私は遊びを止めませんでした。
明らかに阻止する霊体や現象に「うるさい!うるさい!」と言いながらも遊び続けていたのです。
- 823 :本当にあった怖い名無し:2010/11/27(土) 19:50:48 ID:4wKYoNgW0
- 昭和63年3月、午前5時頃でした。
自分の左腕が勝手に上下している事に気付き、目が覚めました。
自分の意志で止めたくても止まらない。体も自分では動かせないのです。
一体なんでこんな事が起きているのか。
勝手に上下する左腕を見ながらどうする事も出来ずにいると、左腕が静かに自分の横に置かれました。
置かれた手の真下にソフトボール程の大きさの球体があるのに気付きました。
なんだろう?と思いながらそれを握ると球体が大きくなり物凄い力で反発します。
負けずとこちらも又握ると小さくなるのですが、又反発してきます。
握力では到底敵わない程の力で反発するのです。まるで生きている様でした。
何回かそんな事を繰り返していると、スッと球体がなくなりました。
あれ、消えた?っと何気に窓を見ました。
私はマンションの4階に住んでおり、自分の寝室にはレースのカーテンしか付けておらず、
その時は半分だけ閉めてあと半分もレースですから、外の景色を見る事が出来るのですが、その時、太い緑色の何かが見えました。
見ているとその太い緑色の物体がゆっくりと動いていました。
そしてウロコが見えたのです。
私は既に動くようになった体を少し起してカーテンを全部開けました。
ゆっくりと前に進んでいる綺麗な緑色のウロコの物体は太さ数メートルはあろうかという大きさでした。
そのうち、その物体が窓から見えなくなりました。
すると、今度はゆっくりと窓に又何かが進んできました。恐ろしい顔でした。
龍でした。顔の長さが3.5~4m位。
金色のマユ、金色の髭、白い牙、緑だと思っていたウロコも近くで見ると青っぽい緑でとても綺麗でした。
目は鋭く赤く、ほんの少し顔をゆっくりと傾けながら、窓から中の私をギローッっと、睨みつけてきました。
「ウーッウーッ」という声のようなのも聞こえてきました。
本気で食べられると思いました。
あまりの恐ろしさで動く事も出来ずにいると、私の左手にフワッと先ほどの球体の感触が戻ってきました。
龍が私をじっと睨み続けている間、その球体が今度は私の左手の中にグッと入ってきました。
そしてお腹の中まで入ると龍はゆっくり窓から離れていきました。
私はその龍をずっと見ていました。
空高く昇って行くのをずっと。
- 836 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 00:37:12 ID:tCQP/iSY0
- 一体、龍神は何のために私の所へ来たのか?
私は住吉大明神が私に話した言葉を思い出していました。
- 837 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 00:38:36 ID:tCQP/iSY0
- その朝は、新雪が降ったばかりで、辺り一面は雪化粧の白一色だった。
昭和47年1月中旬、時間は午前5時頃。
アパートの周辺は、建物が何も無く、広大な野原状態になっていた。
安いアパートの為、とても寒かった。
僧侶を辞め、ダンボール工場も辞め、釧路の実家に一時戻った後、
再三再四見せられる夢に人生を掛けて、第二の佛道修業のつもりで、
有り金8万円足らずを持って1ヶ月前の昭和46年12月20日頃に札幌に来たばかりであった。
29才4ヶ月でまもなく30才になろうとしていた。
神・仏の実在を確認するための私の人生であるから引越しは私にとっては、小さな問題にすぎなかった。
朝5時のわりには、外は明るかった。
あっちこっちの外灯が新雪によく反射していて雪が輝いて見えた。
寒さと、空腹で寝ることも出来ず、いつしか、トイレの窓から外を眺めていた。
寒いと感じることも忘れて、ただ茫然と外を見ていた。
ここ一週間、何も食べていないに等しい毎日だった。
せいぜい食べた物といえば、干芋ぐらいなもので、
灯油があるうちはお湯の中に干芋を入れ、膨らませて食べていたが、
その灯油も無くなりお金は完全に底をつき、もう何も出来ない状況にあった。
- 838 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 00:40:53 ID:tCQP/iSY0
- 『ここで死ぬのか。。。』いや、そんなはずはない。
やるべきことは自分の中ではやった。
でも、もう限界だ。
死ぬのはいいとしても、『神・仏の確認をできないままで死ぬのは犬死にだな。。。
このことだけは、なんとしても解決したいな』と考え込んでいた。
寒いトイレの中で、そんなことばかり考え涙を流していた。
『いいんだ、俺は金儲けの為や、仕事をする為に札幌に来たんじゃない。
本物の神様にさえ会えれば、役目は終わった事になるんだから。。。』とただ、己に言い聞かせるしかなかった。
『あとは潔く死ぬだけだ。。。』決意は少しずつ固まっていった。
しかし何故死んだのかと言う内容の遺書だけは自分の血で書いて、と思った。
『神や仏にダマサレるな。実在はしないのだから。』という内容にしようと決めた。
『自分の一生の仕事はこの為にあった』とも付け加えることにした。
母や父は泣くだろうな。
妹や弟達も泣くだろう。
でも俺は何度も見る夢に従い札幌に出て来た。
やるべきことはやったから悔いなどない事ははっきりと書いておこうとも決めた。
1月のトイレの中で、決意は不動のものとなった。
- 839 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 00:45:35 ID:tCQP/iSY0
- ・・・・どれ程の時間トイレにいたのだろうか。。。
するとどうだろう、誰かがトイレの窓をコンコンコンと叩くではないか。
『大家だな、うるさいな。こんな早い時間から。』と考えながら窓から首を出して左右を見たが、人影どころか足跡も無い。
新雪だからすぐ分かる事だった。
寒いので、トイレから出ようとすると又、『コン、コン、コン、コン』と今度は大きな音で叩いて来る。
『なんだろう。』と思い又、窓から首を出して外を見た。
しかし誰もいない。
むろん足跡も無い。
きっと幻聴だと思いトイレから出ようとすると又、窓を叩く。
今度はもっと大きな音で。
窓が壊れると思うほど強く叩くので、いったい何事が起きたのだろうと又、首を出して外を見た。
急に眠気が身体を包んだ。
首を窓から出しながらである。
私は窓を閉めるのも忘れてトイレを出て布団の中にもぐり込み、死んだように寝入ったのである・・・。
- 840 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 00:48:36 ID:tCQP/iSY0
- 11時頃、誰かが私の肩を叩いて起こそうとしていた。
まだ眠い。
『大家だな、うるさいな。』と思いつつも起きる事が出来ないのだ。
すると今度は強く肩を叩き続ける。
起きるまで叩く気だと思った。
私はうつ伏せに寝ていて、ほとんどまだ寝ながら『大家さん、どうしたんですか?。。。
家賃ならもう少し待ってくれませんか。』とボソボソと言った。
返事をしてくれないので、起き上がり布団の上に座って、更に頭を下げて頼んだ。
それでもなんの返答も無いのでそこで初めて目を開き顔を上げようとすると足が見えた。
この真冬の1月なのに素足であった。
白い布も見えた。
顔を上げてきちんとその人物を見てみるとそこに立っていたのは大家ではなかった。
映画や雑誌では見たことはあるが、まさか自分の目の前にこのような人物が来ようとは。
その人物は紛れもなく仙人だった。
品のある高貴な風格に純白の光輝く布のようなものを身体に巻き付けていた。
腰には薄墨色の縄のような物もしっかり巻き付いており、下の方にもそれが垂れ下がっていた。
後で分かったのだがその仙人は住吉大明神だった。(住吉大明神とわかるまで実に10年の歳月を要した)
右手には、太い、でこぼこした背丈以上はある杖を持っていた。
ビックリのあまり声が出なかった。
すると仙人が言われた。
『お前は今日救われる。お前の行動力がそれを可能にするだろう。諦めてはいけない。』と。
彼は私の目をジッと見つめ続けながら何度も何度も死んではならないと念を押した。
私が『わかりました』と告げると、そのままスーッと窓側に寄っていった。
そこで私の目の前で70センチ位だと思うが窓まで上がり、出ていった。
私はその仙人を目で追っていたが、驚くなかれ今度は上空へ急上昇して見えなくなったのである。
果たしてその言葉通りに、その日のうちに私は救われたのである。
私を助ける人物が現れたのである。
そして、その人物を10年後に今度は私が助ける事となった。
なぜなら、その人物の未来がその時だけはよく見えたのである。
私を救ってくれたその人物に10年後の状況を語り、私が貴方を救う事になるでしょうと告げたのである。
仏説にある、まさしく『因果応報、10如実相』である。(この文章を書いている時、文字の上を光が走っていた)
- 841 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 00:49:44 ID:tCQP/iSY0
- あの時、住吉大明神が私に話したのは「生きろ」というメッセージだけではありませんでした。
「おまえには大事な使命がある。」と言いました。
まだ話されましたが、それについてはまだ誰にも言ってません。
もしその言葉の通りならば、
私はお金儲けに没頭し、すすきのでの遊びに時間を費やしている暇など無いのではないだろうか。。。
その時強く感じました。
その頃から急激にすすきのへ足を運ぶ回数が減っていきました。
- 844 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 01:11:39 ID:tCQP/iSY0
- 私は18才の時に勤めていた市役所を辞め、僧侶の試験を受け念願の僧侶になりました。
理由は「神と仏に会う為」でした。
僧侶になれば会えると思ったのです。
総本山から末寺に派遣され、来る日も来る日もお葬式とお骨の整理、除霊などをこなしました。
夜、一人で地下に入りお骨の整理をしていると、しくしくと泣く女性が出てきたりと、
俗に言う「霊」とは遭遇しましたが、「神や仏」に会う事は叶いませんでした。
純粋に真剣にどんなに願っても神、仏は姿を見せてはくれず、
そのうち、坊主の世界の出世主義といいましょうか、
周りの坊主たちを見ていても私の様な考えで僧侶になっている人間はいませんでした。
とにかく早くどこかの住職に納まりたい。
どこかのお寺の住職の娘と結婚したい。
そういう人間ばかりでした。
私は僧侶の世界に嫌気がさし、キッパリ辞めてしまいました。
- 845 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 01:13:32 ID:tCQP/iSY0
- 私は僧侶を辞めた事を北海道の父母に言えませんでした。
行くあても無く、北海道にも帰れなかった私は 、
埼玉県の草加市のダンボール工場で1年半ほど働きました。
六畳一間のアパートにせんべい布団一枚の生活でした。
ある春の朝、5時頃です。
寝ていると、玄関のドアをコンコンコン!!とすごい勢いで誰かが叩きました。
こんな朝早くに誰だろうと思いながらドアを開けると、なんと母が入ってきたのです。
目がこぼれ落ちる程腫れている母に
「母さん、その目、どうしたの?なんで俺の居場所がわかったの!?」と聞くと
母は「お前の事を心配して心配して、、、親だものお前の居場所くらいわかるんだよ。
もうとにかくすぐに帰っておいで」と涙を流しました。
目をこんなに腫れる程泣いて心配して探し出してくれた母の手を握って私も泣きました。
そして母と一緒に北海道へ帰る事にしたのです。
すぐに帰る準備を始めようと母と二人で立ち上がると、
母が壁に寄りかかる様なしぐさをして壁の中にスーッと消えてしまいました。
今まで握っていた、母の手の肉感は確かに残っています。
私はとっさに母の身に何かあったと思いました。
- 847 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 01:14:53 ID:tCQP/iSY0
- すぐにアパートをひきはらい、工場長に連絡を取り、その日のうちに私は北海道釧路町の実家に戻りました。
実家に帰ると、母は今朝方、私のアパートに来た時と同じように目をこぼれ落ちる程腫らしており、
私の姿を見るなり抱きついて泣き出しました。
「どれほど心配したか。」と泣く母を見て、
私の事を心配するあまり母の想念が私を探し出し、生霊という形で現れたのだとわかりました。
仏壇には、私の写真が置いてありました。
私が自殺をしたと母は思っていたのです。
子を想う親の愛の深さは、本当に凄いと今でも忘れる事が出来ず、思い出す度に胸が苦しくなってきます。
「母は偉大なり。。。」
偽らざる実感です。
- 850 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 02:09:43 ID:tCQP/iSY0
- 私はサハリンで生まれました。
戦争と同期に生まれたようなものです。
サハリンはとにかく寒く、雪の多い所です。
それと魚はどんな川にもいて、手でつかむことが出来る位です。
怖い方の話は、大きな熊がよく出没して、家の回りを徘徊する事です。
このヒグマの事を少々話してみます。
彼らは山で人間を見つけてもそこでは襲わずに距離をおきながら、後をつけ、どこの家に入るかを確認するのです。
それからその家を襲ってくるのです。
大変頭の良い動物だと私は記憶しています。
ヒグマは、家の回りを時々徘徊します。
そして巨体をドスン、ドスンと家に体当たりさせるのです。
これは家の弱い所を探しているのです。
私が生まれて初めて神というものに真剣に祈ったのは、そのヒグマが我が家を襲った時でした。
- 851 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 02:15:49 ID:tCQP/iSY0
- 時間は夜9時頃です。
父は経験上、窓から侵入して攻撃すると判断して、鉄砲とナタを用意しました。
このような光景も度々あり、さしてびっくりしなかったのですが、この度の違いは父の顔色と、真剣さでした。
それもそのはず、ヒグマの大きさがケタ外れに大きかったのです。
家の造りは丈夫に出来ているのですが、この熊は、頭も良く窓の所に狙いを定めたようなのです。
父が母に「危ない!今日は熊が家に突入するぞ」と言っているのが耳に入ってきました。
母に「熊が家に入ってくるの。。。」と聞くと、声を出さずにうなづいたのです。
声を出すなと母は言うのです。
子供がいると判った場合の方が危険性が高いというのです。
「どうすれば、いなくなるの。。。」と母に聞くと、母は「神様にお願いするしかないの。」と言う。
「神様はどこにいるの?」と聞くと、空の上の方にいると言うので、
母の胸に顔ごとうずめて、「神様、どうか熊が、家からいなくなりますように。。。」と祈った。
とにかく祈った。
限界を超えて祈った。
すると急に、父が「熊がいない・・・。熊がいなくなった。
でもまだ家の様子を見ているかも知れないなあ・・・。よし、外に出て確認してくる」と、鉄砲とナタを持って出て行った。
しばらくして帰ってきた父は「山の方に向かって歩いていったよ!
熊の奴、何を考えているのがなあ・・・」と独り言をポツリ。
熊はそれ以来、二度と私達の住む家に近づく事はなくなったのである。
- 852 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 02:20:06 ID:tCQP/iSY0
- 戦後の昭和22年頃の話だが、くだんのサハリンで終戦の時は4歳だった。
2年後の6歳時の話をしようと思う。
サハリンからは引き揚げ船が出ていた。
だが、なぜか国籍不明の潜水艦によって沈没させられていた。
先を急いで本国に戻りたい人々は、そのために死んでいったものだ。
それでもなぜか先を争うのが、人間の習性のようで、
引き揚げ船は又も、撃沈された。
ようやく私達家族も引き揚げ船の手配が付き、いよいよ本国へ帰るという前日、
私は急に熱発し意識を失い、入院する事になってしまった。
父母から見れば、足を引っ張ったので親不孝物となった。
しかし私達家族が乗る予定だった船も又、撃沈されたのである・・・。
入院して二日後に意識を取り戻した私は、
目を覚まして直後に母に「お腹がすいた。ご飯が食べたい」と言って驚かせた。
私の原因不明の病はウソのように治り、母は私の病のお陰で守られたと言って喜んだ。
- 853 :本当にあった怖い名無し:2010/11/28(日) 02:24:11 ID:tCQP/iSY0
- 人生につまづいたら、
八方塞がりで一歩も進めなくなったら、
まず生まれてきた事に感謝する事です。
この世に送り出してくれた神仏に感謝することです。
使命を果たす事です。
使命のわからない人はおりません。
思い出せないだけです。
使命を思い出せない人は、まず前を向いて歩く事です。
しっかりとこの与えられた命を生き抜く事です。
そうして過ごしていくうちにやるべき事、やりたい事が必ず見えてきます。